夢の達成、消されないためには?

フリーライターを目指して修行中

態勢を立て直す

これ以上に進んで行ったとしたら、私としては新境地に踏み込んでいく事になるのかもしれない。小説家を目指すわけでもないけれど、でもどうやったら小説家になれるかを深く検討している人として。このまま何も小説らしきものを完成させないとしたら、当然ながら、読んでもらえるような作品を持たないのだから、小説家にはなれないだろう。単純ながら起承転結のある小説を書いている人の作品を読んだことがあるが、それは読んだ私にとっては、ずっとなぜか記憶に残ったままである。なんで忘れないかと言えば、理由になっていないかもしれないが、分かりやすくて、しかもへたな話に思えたのだけれど、がんばって書いているんだなという努力が読者である私には伝わったから。結局、読み手になってくれる人から、読んでストレスが発散できたとか、暗い気分が多少なりとも明るくなった、これからもがんばって作品を書いて下さいと応援の言葉をもらえるようになれないとダメなんだろう。私はそういうものが自分の手というものを通して書かれて、いまの時代はコンピュータを介していることが多いのだけれど、それでも読み手に伝わっていくものが、どういうものでなければならないかを検討していく必要もあるのだなと改めて思う。今夜も、買い物の帰り道で近所の少年に出会ったが、すこしあいさつなどしてくれる彼が、もしも自分の書いた作品を読むことになったら、私はどうしようという思いがあるのであるが。まだ、何かの小説というものをたくさん読みこんでいたりとかではなく、自分なりの小説というものへの世界観を持っていないであろう若い人にとって、初めて出会う長文のまとまった読み物というのが、私の文章だったらどうしようと私は不安にも思ってしまう。そんなことを私は心配しなくても良い状況ではあるものの、でも書き手としてそういう思慮分別となるものは持って行かなくてはならないと思う。売れるから、どうなっても良いから、という視点で物事を見つめては、ダメかもしれない。みんなが見ているから、こうしないといけないという部分ばかりを強調した文章が面白いかというと、そんな作品ばかりでは、ああこの人はこういう人でこんなことばかり書いているのだなという感想を持たれるだけかもしれない。若手の読み手に対しては、それがどれだけ人生の進路に影響をおよぼすかも、空恐ろしいものがある。リーマン・ショックという金融危機が起きたことがあるけれど、あれはもうかれこれ9年も前の出来事だけれど、ひとつのあやまちが大勢の人の生活を破綻させていき、ここ日本でも、やっていた自営業がうまくいかなくなってしまったりで、失業のストレスを経験した人も多かった。まだ私には記憶に新しい物事の中の一つではあるのだが。事ここに至って、態勢を立て直して、なんとか持ちこたえている人たちもいるであろう。それとも、多くの人にとっては、過去の歴史の中の学ぶべきひとコマになってしまったのだろうか? 私の手がこのキーボードをたたいて文章を作ってきているのだが、その手をみようという人がいるのだろうか? 理由はよく分からないが、単に興味があるから、物書きの人の手がこういう文章を連ねていく事をしていて、それで手を見たいという人がいるのかもしれない。それにしても、私は日記も書き続けているので、もうずっとキーボードを使用して来ている。このまま、何者にもなれないままで、インターネットの世界の波の中にうもれていくだけの文章を書いていく事になるのだろうか? それは、たぶん多くの書き手となる人たちに共通の悩みだと思う。私の家からバスで20分くらいのところにあるショッピングセンターがもうすぐ閉鎖される。そこに勤めていた人達というのは、たぶん失業する。どこに行くかといえば、私の家から歩いて20分くらいのところに中規模のショッピングセンターの新しいものがもうすぐ出来るので、もしかしたら、そこに職場を求めていく人たちもいるだろうと思う。全国規模の店が企業の上層部という少数の人たちの決定によって不採算店の閉鎖へと突き進んでいる。利潤を追求しているのだから、いたしかたの無いことでもあるだろう。見よう見まねの範囲内で小説というのも出来上がるものなのだろうか? 大きな店の経営が困難を極めるのだから、小説も書き手が筆の進め具合をうまくやって行かない事には、失敗にいたるものと思われる。インターネットの世界で成功しているように見える人達も、本当のところは、どうなのだろうか? どちらにしても、成功していくということは、失敗したくないというプレッシャーを感じるようにもなっていくだろうし。へたなことを書いてしまうのではないかとか悩んだり。何者にも成れないまま、ローマは一日にして成らずということわざを教えられ、そうか簡単にうまくいくはずが無いが、それでも続けていく事で何者かになれるかもしれないという思いを強くした一日である。それでも、目標を立てることも役立つはずではある。このまま何にも成れないままの期間が長くなれば、それは読まれもしないままの文章がただただ積みあがっていくだけの日々となるのだから。でも、最初は、それでいいかなという気持ちでもいいと思う。大先生にはなれないだろうし。なれるかもしれないがそれはずっと先の話である。上昇気流に乗って、行く先は高いところで。